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写真01
■記者会見開場にて

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■記者会見開場にて

   2月25日ベルリン国際映画祭で監督賞を受賞した『サマリア』の公開も間近の韓国映画の異才キム・ギドク監督の来日記者会見が行われた。黒のTシャツに黒のズボン、野球帽をかぶったキム・ギドク監督は、時間が取れないため共同記者会見となってしまうことを詫びながら、短い時間の中でひとつひとつの質問に丁寧に対応していった。
  映画の内容からすると、厳しい人を想像するかもしれないが(『春夏秋冬そして春』では自ら出演している)、まったく厳しい表情はなく、時に笑顔を交えながら、右手にマイク、左手ではジェスチャーを繰り返しながら、話していく姿が印象的だった。以下が当日の会見の内容です(質問内容、回答などは読みやすくなるように手を加えてある)。

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  キム・ギドク:まずはこのように歓迎をしていただきましてありがとうございます。本来ならば皆様御一人おひとりとお話できればいいのですけれども、撮影中の来日のため、時間が持てず申し訳ございません。でも、会場にお顔を拝見した方々が10名程度いらっしゃるようで、とてもうれしく思っています。後ほどご挨拶をさせていただければ光栄です。たくさんの質問は受けることはできないと思いますが、誠心誠意お答えしたいと思っています。

Q:まずはこの映画「サマリア」なんですが、ベルリン映画祭で監督賞を受賞されまして、おめでとうございます(拍手)。この賞を受賞して周囲の変化はございましたでしょうか?

キム・ギドク:もちろん賞を受けたことにより、環境が変わるということは十分ありうるのですが、私自身ができるだけ変わらずにいようと努力しておりますので変わったということはありません。

Q:『サマリア』を撮るそもそものきっかけは?

キム・ギドク:韓国では最近になり、こういった10代の少女たち、また学校に通っている生徒たちが成人と交際する事件が起きています。しかし、世間ではこれを加害者そして被害者というひとつの立場からのみ見ています。私はこれらの出来事をあくまでも人と人としてどれだけ理解できるのかということを訴えたいと思いました。ひとりの友達と友達の関係、そして両親と娘たち、娘たちを見る親という立場から描けないかと思い、この映画を作ることにしました。

Q:ありがとうございます。実は先日、主演のお2人、クァク・チミンさんとソ・ミンジョンさんが来日しました。その時にキム・ギドク監督のことを案外子供っぽくて可愛いとか言っていたのですけれども、2人との思い出は何かございますか?

キム・ギドク:彼女たちは2人とも韓国でもまだ余り名前の知られていない新人でしたが、とても頭もよく魅力的な女優さんたちです。ですから彼女たちと映画を作ることができて私としてもとても幸せでした。また、私はごく最近の新作として『ドリーム』(邦題未定)という映画を撮りました。日本からも投資を受けているこの新作の中での主人公は『サマリア』でも出演しているソ・ミンジョンさんです。やはりこの『サマリア』の中でとてもいい俳優さんだと思ったからこそ、また一緒に撮影ができたのです。

Q:本作でベルリンやヴェネチアと、このところ映画祭で次々と監督賞の方を受賞されていますが、こうなってくると、今お話があった『サマリア』で主演されているソ・ミンジョンさんが出ている次回作でやはりカンヌ映画祭での監督賞を狙っているという感じになっているのでしょうか?

キム・ギドク:私も実際にベルリン、そしてヴェネチアで監督賞というものを頂きましたが、自分自身がとても予測できなかったということもあり、未だになんだか人ごとのようで実際に自分がもらったのかどうかよく分からない感じです。というのも、やはり私は映画をつくる人間であって賞を獲る人間ではないからです。もちろん周りの方々の多くが次の映画祭でまた賞を獲ることを望んでいるようですが、その反面、獲らないようにと祈っている人も多いのではないかと私は感じています。私は自分の作った映画がどこの道へ進んでいくのかということは、私が映画を作ることとは別物だと感じています。もちろん映画祭では、その審査員の方々に気に入られるかどうかということになると思うのですが、あくまでも私は単に映画を作る人間でありまして、映画祭に行く人間ではないということです。もちろんこれは少し難しい言い回しになるかもしれませんが、私自身と映画は進む運命が違うということです。繰り返し言いますが、あくまでも私は私が感じたこと、考えたことを映画として作る人間だという事です。

Q:先日こちらでクァク・チミンさんとソ・ミンジョンさんが会見なさった時に、監督は演技については全て俳優に任せると答えていたと思います。そうした中でプライベートな話を交わすうちにどんな演技をしようかとか、役についての理解が深まったとおっしゃっていました。具体的にどういう話をなさってどのような魅力を女優さんから引き出そうとなさったのでしょうか?

キム・ギドク:私は最近撮り終えた新作まで含めると12本の作品を撮ってきました。今までずっとそうだったですが、特に俳優たちにどういう演技をしてくれという要求をするより、まずシナリオをそれぞれの俳優に渡します。当然そのシナリオを俳優たちは読みますので、シナリオについてあれこれと言う事は特にありません。ただそのシナリオに登場してくる人物たち、その人たちはそのシナリオに書かれるようになる前までにどう生きてきたのか、そしてこのシナリオに書かれた後をどのように生きていくのであろうかということについて俳優たちと論議をし、話すようにしています。あくまでもその部分については映画の中では描かれてないんですけれども、この登場人物はこの映画が終わったらどういうふうに生きていくと思うかということをたくさん話すようにしています。また、もうひとつ私が俳優たちと一緒に仕事をするとき、演技を始めるにあたって必ず言うことがあります。それは俳優としてこの役柄、誰かの人生を真似るのではなく、その登場人物そのものとして生きて欲しいということです。往々にして俳優たちは与えられた役柄を想像し、その人物を真似ようとしますがそうではなく、俳優自身もこの瞬間も歳をとってどんどん変わっていくのですから、今この時点からこの人物、この人として生きて欲しいと言っています。時には私の映画が終わってからもその登場人物として、その人生、生き方から抜け出せずにつらい思いをしている俳優さんもいるかもしれませんが、私はそういう心持ちでいることは非常に大切だと思っています。
  そして、今まで私は映画を作るにあたって、やはり監督という立場の人間が一番大変だと思っていました。しかし、つい最近やはり一番大変なのは俳優なんだなということに気付きました。というのも皆さんもよくご存知だと思うのですけれども、最近韓国で俳優としての人生を悩むに悩んだに末、残念なことになった事件がありました。その事件を通じてやはり俳優という職業は非常につらいんだと私も強く感じました。もちろん、監督も映画において様々な面で大変なことがあるのですが、俳優たちは絶えずある役柄になりきり、そして大変な思いをしているんだということを感じています。私の作品『悪い男』に出演していた俳優に「監督、私はこの映画に本当に自分の魂を注ぎ込みました」と言われたことがありました。私はその言葉を聞いてとても胸を痛めました。先程の事件もそうですが、やはり俳優たちは映画の中でその題材で得た人生を生き、魂に傷を沢山受けているんだなと感じています。

Q:今回この映画の中で「ジムノペティ」というエリック・サティの曲が非常に印象的に使われているのですが、この曲は監督の『受取人不明』という映画の中でも使われていますね。何か特別な思い入れがこの曲に対してあるのですか?

キム・ギドク:まず著作権料が発生しないという意味で使われています(笑)。私はこの曲を『受取人不明』という映画の中でも使っています。なぜなら、この音楽は韓国の人々の感情を揺さぶる音楽ではないかと感じたからです。この『サマリア』という映画では特に最後の場面と父親が娘を起こすシーンにおいて、2つの意味を感じさせることができるのではないかということで使いました。私はこれまでも韓国でよく知られている人、楽曲を使うよりも、気に入ったものがあれば外国の曲でそれもあまり知られておらず、使われないような音楽を著作権を買って使用しています。『悪い男』の場合でもそうですし、『サマリア』の次の『空き家』という映画もそうです。このエリック・サティという楽曲は比較的有名な曲で皆様にも分かりやすく聴いていただけたのではないかと思います。

Q:監督の作品は結構好きで全て観ているのですが、以前の映画では“痛み”が全面に出ているのが多かったのですが、ここ数年の作品では、その痛みが常に存在しつつも、“癒し”の色が強くなっているように感じたのですが、ご自身の中で世界観や愛に対する考え、それからそういうことを表現する映画に対する考えに何か変化があったんでしょうか?

キム・ギドク:私は今までの作品の中で『鰐』(日本未公開)から『ワイルド・アニマル』(日本未公開)、『青い門』(日本では『悪い女』としてビデオ発売)、『魚と寝る女』、『リアル・フィクション』(日本未公開)、『受取人不明』、『コースト・ガード』までの初期の7本は、不遇な怒りが爆発し、加虐と被虐、これは虐待を加える者と受ける者、また自虐、こういった内容が反復されていた映画だと自分でも思っています。ただ、それ以降の『春夏秋冬そして春』、『サマリア』そして『空き家』では、私の作品が変わってきたというのは自分でも感じています。これは私の社会に対する見方が今までとは変わってきた結果だと思います。社会をもう少し理解し、また和解をし、世の中をもう少し今までよりも美しく見ようとする視覚が生まれてきたのです。『春夏秋冬そして春』以降は過激な表現もあまりしていませんし、どちらかと言うともっと魂と対話をしようとする意味を自分の中で考えてきたように思っています。私自身も変わったのでしょう。今日も空港に到着したときに韓国の人で私のことを知っている人が「監督、なんだか表情が明るくなりましたね」と声を掛けてくれました。その時に私はやはり「『春夏秋冬そして春』以降から少し私も変わったようです」と答えました。まだ『コースト・ガード』を作っていた位までは、私は世の中に対してとても怒りを感じ、攻撃的でもあり、自分自身にもコンプレックスを持っていましたが、『春夏秋冬そして春』以降は自分がもう少し世の中を楽に見ることができるようになったと思っています。ただこの先、私がどうなっていくかというのは、私自身も分かりません。
  それと、私の映画は大きく3つに分けることができます。それはクローズアップ映画、フルショット映画、ロングショット映画と言えると思います。1つ目のクローズアップ映画としては『悪い男』そして『魚と寝る女』そして『鰐』があります。この3つの映画は人間をクローズアップさせた映画だと思います。これは人間の視覚で、本当に瞳が大きく描かれるほど近くに寄って細かいところまで、そして非常に強い怒りまでも表現した映画です。で、あまりにも近付くと人間のいいところも悪いところも本当に具体的な細やかな部分までが見えてきますが、そういったことを念頭において作ったのがクローズアップ映画です。
  2つ目のフルショット映画としては『受取人不明』、『コースト・ガード』、『ワイルドアニマル』そしてこの『サマリア』です。このフルショット映画というものは、人間全体を見た映画、これは社会の中に生きる人間、社会の中で人間がどのように行動的な矛盾を抱いているか、内包しているかというところに焦点を当て、作った映画です。
  そして3つ目のロングショット映画、これは『春夏秋冬そして春』です。これは人間も自然の中の風景の一部であると捉えて作った映画です。
  こういった視点がそれぞれ違うものであること、それを理解し、この3つのイメージを抱だきながら観ていただけると、私の映画は理解できると思います。『悪い男』という映画をただ観て、私という男は「悪い男なのかもしれない」とただ思っていただくようでは、私が描こうとしているものとは離れてしまうかもしれませんが、この3つのイメージを踏まえて観ていただくと、私の映画がよく、正確に理解していただけると思いますし、その魅力を味わっていただけると思います。

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  一読してもらえば分かるように、質問の内容以上のことを丁寧に答えている様子が伝わってくると思う。そして、回答を聴けば聞くほど、新たな興味も呼び起こされてくる。そんな会見だった。この会見で興味深いのは、会見の数日前に亡くなったイ・ウンジュに絡めて、俳優という生き方に触れたこと、そして監督自身が自分の作品の観かたに示唆を与えていることではないだろうか。特にキム・ギドク監督の作品は難解、訳が分からないと感じる向きにはこの発言は大きなヒントになるだろうし、作品のファンも新たな視点を手に入れたことになるのではないだろうか。
  なお、『サマリア』は3月26日 恵比寿ガーデンシネマにて公開が決定している。これも素晴らしい作品なので、彼の旧作と共に味わっていただければと思う。ぜひ、劇場へ!

オフィシャルサイト
http://www.samaria.jp/

 

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